私が教師を目指したのは、高校の恩師が「この子は体育の教師に向いている」、是非ともその道を進ませて欲しいと両親に頼んでくれたからです。

それ以来、多くの人によって私の進むべき道は作られて来たように思います。

大学を卒業するときは、大学に残る道が決まっていましたが、母親が教師の道を強く希望したので(大学生活が厳しかったので心配したようです)、それなら、教員採用試験を受けるだけと受験しました。当時の採用試験は、高倍率で難関であり、受かるとは思っていなかったからです。東京都の保健体育の高校女性枠の合格者は3名のみでしたが、その1名が私でした。

最初の着任は定時制高校。刺激が沢山あり楽しかったのですが、統廃合が決まり、当時の教頭が、貴方の異動先は「九段高校と決めました」と言われました。九段高校から異動するときも、人事部にいた元九段高校の教頭が、次の異動先は新設の墨田川高校堤校舎ですと言われ、その通りに異動しました。次も、東京都で初めての単位制普通科飛鳥高校の校長から直接お声がけがあり、飛鳥高校への異動となりました。

そして、飛鳥高校の校長からは全く考えていなかった管理職選考を受験するよう言われ、合宿先から全く受かる気などなく受験し合格。さらには、教頭としての着任先は富士高校と飛鳥の校長から言われ着任。通常校長選考に受かると異動になるのですが、それもなく5年間富士で教頭を終えることになります。

校長になってからは、人事部の指示通りとなりましたが、ともかく、不思議と周囲の薦めで進むべき道が開けていったのです。勿論私が希望した所は一つもありません。

これらの経験から、人は人によって活かされると考えており、管理職になってからも、教職員や生徒、すなわち人との関係が一番重要な要素であると考え実践してきました。